B5G研究開発の意義

海中での中距離・長距離無線通信の実現を目指して

九州工業大学 副学長
イノベーション本部 本部長 特任教授
博士(工学) 福本幸弘

水中・海中での通信は、従来音響通信によるものが一般的であった。「水中・海中で電波による通信はできない」という先入観を打破し、中距離無線通信や長距離無線通信の技術確立を目指すプロジェクトの成果を、代表研究者の福本先生に聞く。

プロジェクトの目標を超える成果を達成

九州工業大学とパナソニックホールディング株式会社との連携で進められたプロジェクト「海中・水中IoTにおける無線通信技術の研究開発」の目的と現状、成果について教えてください。

福本幸弘先生

福本 今回の研究・開発は、NICT(情報通信研究機構)の革新的情報通信技術(Beyond 5G(6G))基金事業の委託研究プロジェクトとして、令和3年度から同6年度まで、4年間にわたって進めました。
 従来、海中での通信は、音響通信、つまり音波を使う通信が一般的で、電波は使われませんでした。水中、特に海中では電波が飛ばないという固定観念があり、一部では研究が行われていましたが、実用化を目指すレベルのものではありませんでした。
 一方で、海中構造物の建設やメンテナンス、あるいは養殖業の支援などの分野で、海中のIoT化が求められています。現在、これらの作業はダイバーが海中に潜って行っていますが、それを海中ドローンや海中ロボットが代替できるようになれば、養殖場の長期間にわたる低コスト動画撮影や設備保守に供する水中データの収集など、さまざまなメリットが生まれます。そのためには、海中での中距離無線通信、長距離無線通信の実現が求められるわけです。
 プロジェクトの開始時に、私たちは海中作業機械の遠隔操作及びデータ転送、海中センサ群からのデータ収集への適用を想定し、3つの目標を掲げました。

1つ目は、IoTデバイスとアクセスポイントをつなぐための革新的な水中アンテナを用いた「中距離通信(最長4mで1Mbps)」の実現です。

2つ目は、水中ドローン等を中継局として、陸上と水中ネットワークを結ぶための「長距離通信(10m以上、マルチホップ数10段以上)」の実現です。

水中IoTシステム
水中IoTシステム

3つめは、海中無線通信技術についての「国際標準化」の達成です。プロジェクト終了までに、いずれも、当初の目標値を上回る成果を達成し、長距離化では10段のポップで40mを達成できました。

福本幸弘先生
水中IoTシステム
水中IoTシステム

5Gまでの技術との違いはどのようなところでしょうか。

福本 5Gまでは、通信の高速化や低遅延化を進めてきましたが、今回の海中無線通信の研究では、宇宙からの通信などと同様に、通信の領域を水中、海中にまでに広げる技術、NTN(非地上系ネットワーク)の確立を目指しており、5Gまでとは方向性が異なるものだと考えています。

海中無線通信を点から面の通信に発展させる

開発当初に想定されていたユースケースにどの程度近づいているのでしょうか。また、今後の課題はどのようなものでしょうか。

福本 現在、洋上風力発電設備の海中部分のメンテナンスはダイバーが潜水して実施しているため、作業の間は発電をストップさせなければなりません。また、養殖場では養殖用の網の底の魚がどのような様子なのか、元気に泳いでいるのかを映像で確認したいといった要望がありますが、現状ではダイバーが海底まで潜って動画を撮影するしかありません。海中無線通信において面の通信ができるようになれば、これらの問題点をクリアできると考えています。
 今回のプロジェクトでは、固定されたアンテナ間での海中無線通信の目標は達成できています。しかし、実際の養殖場の監視などにおいては、アンテナの片方は移動体でないといけません。つまり、固定された地点での点と点の間の通信から、四方に動く面での通信へと発展させていく必要があるわけです。この課題を克服すべく新たなプロジェクトを進めており、2030年頃までに海中で面での無線通信エリアをつくることを目標に取り組んでいるところです。

世界最長、4m間隔で11個のアンテナを海底に設置し、信号伝送に成功!
世界最長、4m間隔で11個のアンテナを海底に設置し、信号伝送に成功!

 課題としては、電磁ノイズの問題があります。今回のプロジェクトでは、長距離通信のためにアンテナを4m間隔に設置していますが、ロボットにアンテナをつけると、ノイズが発生し通信速度に影響が出てしまいます。海中無線通信では従来使っていなかった低周波数での広帯域通信をしており、ノイズの規制が厳しくない周波数帯域でした。地上の通信では想定されていなかった低周波数・広帯域ノイズの問題ですが、この問題は深刻で、通常のノイズ対策では解決できそうにありません。しかし、ロボットの改良や、ノイズを検知してそれを避ける通信システムの開発など、改善のアイデアはあるので、今後こうした方策を試しながら研究開発を進めていくつもりです。
 また、海中無線通信の研究は、実験ひとつとっても膨大な費用がかかります。初期投資が相当に必要なので、ベンチャー企業のスタートアップではなかなか難しい分野です。PoC(Proof of Concept)でも適用先により大きな予算が必要となり、資本力が障害となりますが、逆にいうと、そこを突破できれば他国の追従を許さない強みが生じる分野だと思います。

1000km離れたオフィスから海中ロボットを遠隔操作することに成功!
1000km離れたオフィスから海中ロボットを遠隔操作することに成功!
世界最長、4m間隔で11個のアンテナを海底に設置し、信号伝送に成功!
世界最長、4m間隔で11個のアンテナを海底に設置し、信号伝送に成功!
1000km離れたオフィスから海中ロボットを遠隔操作することに成功!
1000km離れたオフィスから海中ロボットを遠隔操作することに成功!

Beyond 5Gが実現した社会・世界でもたらされる各領域の効果の中で特に期待している、あるいは重要視している領域・技術はありますでしょうか?

福本 自分自身の研究分野での期待は大いにあります。アプリケーションと技術はたがいに追いかけ合って進展しますが、どちらかが止まることもよくあることです。エリアの拡大といった「横への広がり」をめざしていくことでイノベーションが起こりやすくなると考えています。
 今回の研究は海中無線通信ですが、適用範囲を拡大するためには「横への展開」、アプリの拡大が重要で、塩水の海中向けでは淡水の水中向けに比べ技術の難しさもありますが、多くの用途があると見込んでいます。ダイバーの潜水は50m程度ですが、海底ケーブルや海底構造物の設置はもっと深い場所に設置されています。そのような深い場所で海中ロボットの遠隔操縦が可能になれば、殆どの海中の構造物のメンテナンスが可能になります。ダイバーとのメンテナンス用アプリや海底ケーブルの安全対策などアプリ開発ができ、更に無線通信範囲が広がり、対象とするアプリの拡大・開発と共に進めば適用範囲がおおきく広がると考えています。
 一般にアプリ開発が得意といわれるスタートアップでも、日本ではアプリ開発があまり得意とは言えません。私自身、技術者として、又マネジメントする立場からも、海中通信でのイノベーションを起こしていければと思っています。

産学連携に「緊張感」、「責任感」を

日本の産学官の協同研究に対する期待や、問題意識はありますでしょうか?

福本 私はこれまで企業で研究に従事し、現在は大学で研究をする立場なので、産と学の両方の視点で見ることができますが、産学連携がドラスティックに変貌しているとはいいがたい状況です。
 学の側から見ると、大学は産学連携のアウトプットにコミットしきれていない印象です。産の側も学に対する信頼度が高くないためか、出資も一定の範囲にとどまりがちです。そのため、ある程度の額の資金となると官に頼りがちです。海外に比べると、産と学の間の緊張感や互いの責任意識が低いのが実情だと思います。そのあたりは、文化的な違いもあるのかもしれません。
 今回のプロジェクトでは、九州工業大学とパナソニックとの間で、役割分担や共同作業の範囲などをあらかじめ明確にしています。また、九州工業大学のプロジェクトオフィスをパナソニックの社内に設置し、大学側の研究者を常駐させるなどして連携体制を構築しました。お互いにものを言いやすい環境で良好な連携体制ができていたと思っています。もちろん、プロジェクトによる成果も分け合っています。
 一般論として、産学連携については、3つの視点で考える必要があると思います。1つは、産にとっての学からの「技術調達」。これは多くの人がイメージする産学連携のあり方かと思います。2つめは「人材交流」。産側が学からの人材を求めることであり、海外における産学連携は、多くの場合、こういった意思をはらんでいるようです。もちろん、双方向の人材交流も有益です。そして、3つめは「政策連携」。産の立場では、直接官に絡んでいくことはハードルが高いので、学をワンクッションすることで官とのパイプになってもらえるという期待があります。それは、官の資金によるプロジェクトで産学が連携する目的のひとつでもあると思います。これら3つは、同等の比重ではなく、お互いの本音がどこにあるかを見極めながら進めていくことが必要でしょう。

今後、さらにBeyond 5Gの研究・開発の成果を社会に役立てていくために重要と思われていることはどのようなことですか。

福本 Beyond 5Gの研究開発成果を横へと広げていくため、スタートアップ支援が重要となってくるでしょう。総務省をはじめ、ベンチャーなどのスタートアップ企業に資金を出す公的プロジェクトは多くあります。ただ、通信インフラに関するディープテック()は成果が現れるまでに10年20年かかることもあるため、長期的に資金も必要となります。しかし、多くのスタートアップ資金はもっと短期の成果が求められるため、このような技術分野独自のディープテックスタートアップ支援のスキームが必要であると思います。若手の研究者を対象にしたプロジェクトもありますが、今後はさらに学生や大学発のスタートアップに広げていくなどの方向性も検討していただけたらと思います。

:経済社会課題の解決など社会にインパクトを与えられるような潜在力のある技術

ありがとうございました。