B5G研究開発の意義

人の能力拡張と人とロボットが共生する社会システムの実現を目指す

大阪大学 大学院情報科学研究科/D3センター 特任教授 (名誉教授)
大阪大学 NEC Beyond 5G協働研究所 所長
博士(工学) 村田正幸

大阪大学「NEC Beyond 5G協働研究所」は、情報科学(コンピューティング/ネットワーク)、制御工学(ロボット)、都市工学などの先端技術の知見を融合しながら、Beyond 5Gのための分散データ処理基盤としてのデジタルツインを構築すること、それを活用して、人とロボットの共生社会を確立することを目指して、2021年に設立された。さらに、これらの成果を活用したBeyond 5Gネットワークの高度化に取り組んでいる。その理念や取り組み、そしてBeyond 5Gの時代への期待について、村田正幸所長に聞く。

産学連携の研究所が4つの課題に取り組む

大阪大学「NEC Beyond 5G協働研究所」が設立された背景と研究所が取り組む重点領域について教えてください。

村田正幸先生

村田 この協働研究所は、NECと大阪大学がBeyond 5Gに関する共同研究を実施するために、大阪大学の「協働研究所」のスキームを用いて設立されました。大阪大学は “Industry on Campus” を標榜しており、NEC共に大阪大学のキャンパスにおいて共同研究を展開するための研究所として設置されたものです。大阪大学の産学連携スキームには、通常の企業と大学研究室の共同研究の他、共同研究講座、協働研究所があります。当協働研究所はそれらの内もっとも大型の産学連携のスキームになります。

研究課題については当初3つ設定しました。

1つ目は、「デジタルツイン技術の確立とその技術の実時間システム制御への応用」です。従来のようにデジタルツインを単に仮想世界においてシミュレーションを行うための技術ではなく、通信を含めた実世界制御を行うためのデジタル基盤としてリアルな環境の不確実性を扱うことを可能にするものです。そのために、これまで私が中心となって研究を進めてきた「脳に学ぶ情報技術」の発展技術にも取り組んでいます。

村田正幸先生

2つ目は「デジタルツインの実時間システム制御への応用」です。特に、流通倉庫での自動ロボット(AGV)搬送制御を扱っています。人とロボットが物理的に共存する環境を対象にしていますので、人の安全を最大限に確保することが重要になります。そのため、ロボットの走行制御については、単独の自律走行ではなく、通信を介した中央制御の形態を取っています。これまでAGVへの適用を中心に研究開発を行ってきましたが、NECではフォークリフト等にも適用していると伺っています。

3つ目は「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などの介護施設におけるIoT技術によるウエルビーイングの向上」です。まずは介護士の労働環境の改善、次に患者の生活環境の改善を目指しています。そのために、実際に運営されているサ高住施設「柴原モカメゾン」(大阪府豊中市)におきまして、リビングラボの手法によってデジタル技術と人のリアルな生活の相互成長についての実証実験を行ってきました。その成果をもって、当協働研究所、NEC、日本モンテッソーリケア協会の3者で、2025年7月8日から7日間、大阪・関西万博の「フューチャーライフヴィレッジ」に参加しました(タイトル:しあわせを呼ぶ認知症 ~もしも認知症になったら~)。新しい認知症ケアの展示と未来への提言を行いましたが、来場者から多くの反響をいただきました。

参考:https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/story/2024/OURG-04-06

デジタルとリアルの相互成長を目指すリビングラボ「芝原モカメゾン」
デジタルとリアルの相互成長を目指すリビングラボ「芝原モカメゾン」

 上記に加えまして、現在「B5G/6G通信品質環境の測定技術とデジタルツイン化、それらを活用したネットワークの高品質化」に取り組んでいます。無線通信品質の予期せぬ変動(すなわち不確実性)に対処するために、物理的環境における通信品質を把握してデジタルツイン化し、環境変動に対する適応技術等の研究開発に精力的に取り組んでいます。

 なお、1つ目の研究課題として「脳に学ぶ情報技術」の応用を挙げましたが、少し説明しますと、これは私の研究チームで長年取り組んできた研究課題です。人の脳は不確実な観察情報に基づいて、センシング情報に誤差があった場合にも、即時に適切に判断し行動を決定するシステムとみることができます。私たちの研究はこのような脳の情報処理機構を数理的にモデル化し、ネットワーク等さまざまなシステムに応用するもので、私たちはこれをゆらぎ制御/ゆらぎ学習と呼んでいます。
 さきほどのデジタルツイン技術を実システムに応用するためには、実世界の不確実性を扱う必要があります。そのために、まず現実世界をすべて確率的にモデル化する「確率的デジタルツイン」を提唱しました。さらにその実現のために、実世界のさまざまなオブジェクトをリアルタイムに識別し、その位置を特定する技術が必要になります。深層学習等による映像解析は今、非常に高い認識率が達成されていますが、実時間処理するためにゆらぎ学習を活用しています。もちろん実世界のあらゆる情報をデジタルツイン化するためには、そもそもスケーラビリティの問題もあります。そこで、エッジコンピューティングによる階層化技術を活用して、確率的デジタルツインの階層化にも取り組んできました。

デジタルとリアルの相互成長を目指すリビングラボ「芝原モカメゾン」
デジタルとリアルの相互成長を目指すリビングラボ「芝原モカメゾン」

人に寄り添うAI、人の活動を支援するAIの実現を

産学連携について、そのメリットや課題について、感じられている点をお教えください。

村田 当協働研究所には、NECの研究所だけでなく、事業部が中心的に参画いただいています。「学」の立場からいうと、ビジネス化に取り組んでいる「産」との直接の連携が可能になり、現場のニーズにあった研究の方向性の設定に繋がります。一方で、今解決すべき短期的課題が優先されることは避けられません。そのため、今現在の社会ニーズに100%チューニングするのではなく、イノベーションを目指して10~20年後を見据えた基礎研究を実施しておくことが大切なことと思います。そして、産学連携においては、そこから「学」も現実的に企業と協働可能な研究課題を設定し、取り組んでいく覚悟が必要になるということだと考えています。

ご自身・研究所での領域以外にも、Beyond 5Gが実現した社会・世界でもたらされる効果には様々なことがありますが、その中でも特に期待をされている、あるいは重要視されている領域・技術はありますでしょうか。

村田 私自身は「人脳の優れた仕組みを活用したICTシステムの実現」や「人(ICT利用者)の脳の仕組みを理解したICTサービスの実現」について研究を行ってきています。これまでご紹介した研究課題以外にも、ウエルビーイングを向上するための環境制御技術(デジタル・ウエルビーイング)や人工意識の研究を行っています。
 さきほども説明しましたが、人が知覚によって実世界をセンシングし「世界モデル」を脳に構築しながら、「世界モデル」に基づいて新しい環境やイベントに対する行動を柔軟に決定するというしくみは、デジタルツイン技術やそれに基づく実システムの制御システムに応用できました。その延長として今、人工意識の研究に取り組んでいます。
 現在、深層学習や生成AIによって、私たちの生活や企業活動などは激変しています。生成AIと言えば「ChatGPT」がそのひとつですが、ChatGPT 4は「ご機嫌取りのAI」と言われました。最近、ChatGPT 5がその修正版としてリリースされましたが、今度は冷たくなったと言われたりしています。そもそもの問題は、今の生成AIは「人の認知」や「人の意識」のメカニズムを十分に理解しないまま、技術開発が進んでいることだと思います。

人口意識のモデル
人口意識のモデル

 今後も、技術的には、さまざまな面で人より優秀なAIの実用化がさまざまなドメインで進んでいくと思いますが、これまでの大量のデータ学習によるAI技術はそもそも学習対象となるデータも枯渇し、早晩限界を迎えるとも言われています。そこで、新しいAI技術として、意識を持つAIの実現が次の課題になると考えています。つまり、「今、目の前にいる人の意識や感情を理解するAI」、それを前提に「人の活動を支援するAI」、そして何より「人に寄り添うAI」の実現です。特に人に対するきめ細かなサービス領域は、日本が必要としているとともに、日本が得意とする領域のはずです。しかし、こういった取り組みは現時点の世界的な研究開発の流れと必ずしも一致しないところもありますので、我が国における研究の方向性として意図的に設定する必要もあると思います。

人口意識のモデル
人口意識のモデル

ディープテックを推進できるスタートアップ企業の育成が課題

総務省は2030年代のBeyond 5Gの実現をうたっていますが、現時点での状況・情勢について、どのように感じていらっしゃいますか。

村田 5Gまでは世代ごとにざっくり遅延1/10倍、容量10倍(ログオーダで)を目指して研究開発が推進されてきたと思いますが、そういったリニアな成長モデルは限界を迎えていると思います。社会応用をまず考えて大容量化・低遅延化をどう活かすか、また、既存設備をどう活かすかという発想が重要です。6Gに向けて、ホログラフィック通信がさらなる大容量通信を必要とするユースケースとしてよく挙げられますが、もちろんすべての通信にホログラムが必要というわけではありません。デジタルツインによる応用システムの高度化、信頼性向上、パーソナル指向サービスなど、単なる通信能力の数値向上では実現できない技術課題は山積しています。
 高速化・大容量化や、AI技術のネットワークへの利活用等の技術革新は今後も続いていくと思いますが、ネットワークの利用者個人の意識を対象とした研究は未知の領域です。新しいサービスとして次に何がくるかはわからないことを前提に、予測困難な発展にも対応できる基盤技術の研究開発が重要だと思います。例えば、さまざまな環境変動を前提とした、人の認知的な領域も含んだ信頼性の確保に適応できる柔軟なネットワーク構成技術が例になります。私自身は「人工意識を持つネットワーク」で解決することを目指しています。

今後、さらにBeyond 5Gの研究・開発の成果を社会に役立てていくために重要と思われていることはどのようなことですか。

村田 すでに申し上げましたが、低遅延、大容量、超多数接続ではなく、拡張性や自律性、安全性、低消費電力等の運用面の特性にも着目すべきだと思います。それらを活かして、過疎地での通信確保や災害時通信対応、遠隔医療対応、一次産業のDX化などの具体的なサービスに繋げていく必要があります。5Gやローカル5Gでの基地局等のような設置コストを乗り越える新しいサービスの実現が必要です。
 そのためには、ディープテック()を推進できるスタートアップ企業の育成が必要だと思います。新しいビジネスの発想についてはスタートアップ企業が優れていると思いますが、技術的に自ら研究開発できるところはまだまだ少ないのが現状です。5Gやローカル5Gを活用して新規ビジネスを行いたいというスタートアップ企業は少なくありませんが、「WiFiと比べて安定した通信が得られる」といった程度の理解に留まっていることも多くあり、現場で必要とされる技術とのミスマッチが起こっています。この解消が喫緊の課題だと思います。

:経済社会課題の解決など社会にインパクトを与えられるような潜在力のある技術

ありがとうございました。